藤子・F・不二雄、ベトナムでドラえもんの印税を寄付。その8か月後に死去
娘の勝又日子さんが基金30周年の場で、作者が病身でベトナムを訪れ、子どもたちの教育を支えた経緯を振り返った。
ドラえもん教育支援基金は30周年を迎え、その記念行事で背筋が寒くなるような事実が明かされた。藤子・F・不二雄は基金創設に署名してからわずか8か月後に亡くなっていたのだ。娘の勝又日子さんが10月28日、記念式典と紅河デルタおよび北部中山間地域の8省における小中学生への奨学金授与の場で、その経緯を語った。
基金はある負い目から生まれた。1992年末、ベトナムの出版社キムドン出版社が同国で初めて 『ドラえもん』 を刊行した。1993年から1995年にかけてほぼ全巻が出版され、ベトナムの子どもたちは出版社自身も予想していなかった熱狂をもって受け入れた。
キムドンはその後、藤子・F・不二雄と日本における作品の独占販売元である小学館に手紙を送り、異例の提案をした。印税として10億ベトナム・ドンを支払うというのだ。注目すべきは、ベトナムがまだ国際著作権条約に加盟していなかったことだ。誰も支払いを義務づけてはいなかった。
「ドラえもんの父」藤子・F・不二雄は、その財産も最後の笑顔もベトナムの子どもたちに捧げた。1996年、作者はキムドンの招待を受け、小学館の関係者とともにベトナムを訪れた。そこで10億ドンを寄付してドラえもん教育支援基金を設立することが合意され、ベトナムの出版社も追加で資金を拠出した。この訪問中、グエン・カイン副首相が作者を迎え、文化情報省から「ベトナム文化事業のための」勲章が授与された。
すでに健康を損なっていた旅
勝又日子さんはその旅に父に同行し、飾らずにこう振り返った。父は病気で、健康状態は良くなく、漫画家としての活動もかなり減らしていた。それでも行くことを決めた。調印後、二人は児童施設を訪れた。
娘が語るのは、子どもたちに囲まれ、彼らの話に耳を傾け、笑顔で応じる一人の男性の姿だ。「子どもたちの会話を聞いて笑顔で答えている父の姿を見て、普段家で見ている父とはまったく別人のように感じました」と彼女は話した。そして「父の優しい笑顔は、30年たった今も私の心に刻まれています」と締めくくった。
藤子・F・不二雄の次女、勝又日子さんが、30年前にドラえもん基金を設立するために父がベトナムを訪れた旅について語る。作者はその8か月後に亡くなった。だからこそ娘は、ドラえもん基金が父が直接関わった最後の重要なプロジェクトの一つだったと強調する。それは記録としてではなく、その笑顔が今も心に刺さったままの人間としての言葉だ。
基金の数字
基金は作者の寄付だけで続いたわけではない。キムドンの元社長グエン・タン・ヴーが共同創設者となり、2010年に初期資金としてさらに10億ドンを拠出した。現在「ドラえもんスマートロボットキャット奨学金基金」と名付けられたこの基金は、50億ドンの資金を持つ。
30年間で1万4794件の奨学金が授与され、総額は約115億ドンに上る。記念式典は、ベトナム北部地域の学生への奨学金授与の場ともなった。
藤子・F・不二雄ほどの作者が、しかもマンガがようやく入り始めたばかりの国で、このような行いによって人生を締めくくるのは珍しい。 『ドラえもん』の作者のこんな一面を知っていただろうか。コメントで教えてほしい。
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