ちばてつやさん死去、87歳 引き揚げ体験から生まれた漫画
『あしたのジョー』の作者は幼少期に満洲を横断し、道ばたに遺体が残る光景を目にした。その記憶が作品と反戦の姿勢を貫いた。
ちばてつやさんが10月22日、87歳で死去した。 『あしたのジョー』 の作者は生涯にわたって暴力とその結末を描き続けたが、それは偶然ではない。6歳のとき、ほぼ1年をかけた満洲からの引き揚げで大陸を横断し、道ばたに打ち捨てられた遺体を目にした。
道中では、病気や栄養失調で倒れる人が絶えなかった。墓を掘る時間も体力もなかった。毎日新聞が死去を受けて再録した3月のインタビューで、ちばさんは「人間は簡単に死ぬものだ」と語っている。
ちばさんが終戦を知ったのは1945年8月15日、奉天(現在の瀋陽)でのことだった。6歳だった。家族6人は博多港にたどり着くまでに1946年の夏を要した。冬の間は大陸に身を隠し、徒歩や貨物列車で移動を続けた。
終戦時、日本本土の外には約660万人の日本人が暮らしていた。そのうち約630万人が帰国した。ちばさんの家族は現地の中国人の助けを受け、全員無事に戻ることができた。
戦争の記憶はすべてのページに
ちばさんは70年前に漫画家としてデビューした。最も知られる作品 『あしたのジョー』は戦争漫画ではないが、そのページには殴られて傷ついたボクサーたち、壊れた肉体、そして決して美化されない暴力が描かれている。作者はその視線の出どころを隠さなかった。道ばたで見知らぬ人々の死を目にした少年の記憶だ。
3月のインタビューで、ちばさんは現在についても同じ率直さで語った。戦後、日本は戦争を避けてきたが、状況は再び危険になっていると述べた。その理屈は単純だった。片方が石を投げ、もう片方が投げ返せば、それだけで手がつけられなくなる。
「互いを尊重し合うことが必要だ」とちばさんは語った。そして、その責任は政治家だけのものではなく、絵を描く者にもあると付け加えた。
届くのが遅れた警告
このインタビューが掲載されたのは、2025年11月に高市早苗首相が台湾について発言し、日中関係が緊張していた時期だった。ちばさんはこの出来事に直接は触れなかったが、その言葉は警告のように響いた。紛争は大きな理由がなくても始まるのだと。
毎日新聞は今回、その会話を再録した。文章は通常の追悼記事ではなく、幼少期のつらい体験を数十年にわたって持ち続けた倫理的な姿勢へと変えた人物の証言だ。
ちばさんは戦後漫画を代表する最後の巨匠の一人だった。その死は世代的な空白を残すが、同時に戦争が肉体に何をもたらすかを伝える膨大なイメージの記録も残した。色あせることのないイメージだ。
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